東正作 - TOMASASAKU

本名:

滝沢正治 / 弟・明進(あきのぶ)
※東正の長男はイシダイ竿師として有名な瀧澤

 

経歴:

大正3年10月、埼玉県川口市青木町で5人兄弟の次男として生まれる。尋常小学校卒業後、4代目東作門下に入門。お礼奉公を含めて8年修行した後、川口に戻り三男の弟、明進らを弟子入りさせて和竿師として独立する。しかし父親と大喧嘩の末、浦和駅前の高砂町へ映り、時代は第二次世界大戦勃発へ。戦時中の昭和15年には東正の長男、瀧澤こと滝沢樹が生まれる。戦後間もない昭和21年、同じ浦和の常盤町に映り「バンブー工業株式会社」を設立するが約2年後に倒産。ここで弟の明進がもうひとりの東正と川口に別の工房を構えて一本立ち、独自の道をひらく。バンブー工業倒産後は、浦和市領家の東俊の敷地内に並んで工房を縦、20数年間を過ごした後、ふたたび生まれ育った。川口市青木町に映り工房を立て直した。

 

エピソード:

東正は焼印にカク枠か枠なし。弟の東正は小判型またはなで肩のカク枠。
弟の東正はフナ、タナゴ、ヤマベ、ヤマメ、ハゼといった小継竿が多く、銀座や上野の松坂屋お抱え竿師であった。1本ものの高級竿が得意。
兄の東正は、個人の注文は受けず、量産体制を整えると、渋谷サンスイや銀座松坂屋といった大きな顧客を相手に高級竿を大量につくった。春にはヤマメ竿、梅雨前にはアユ竿、夏になるとハゼ竿、秋はイシダイ竿といったように季節に合わせて60〜80本をまとめて製作。