9泊11日にわたった長良川サツキマス釣行について書きたいと思う。
シーズン解禁。渓流釣行に乗り遅れた御一行
渓流解禁と共に、SNSが賑わい始める。まだ雪代が残るフィールドで釣り上げたトラウトの”サビた”個体が連日タイムラインに並ぶ。その頃のWAZAO-IPPON(以下、竿一)メンバーはといえば、日々渓流を通り越しては東奔西走していた。その様は数々の重要な水源を飛び越えて目的地を急ぐ、リニアモーターカーのようであった。
1月から始まるメンバーの結婚式ラッシュ、パフィシコ横浜で開催された「釣りフェスティバル2023」初出展。(結婚式と日程が重なり、メンバーはパニックに陥った)。名古屋・大阪のフィッシングショー視察。石垣島・宮古島でのキャスティング和竿の実釣テストと現地の餌木工房探訪。春イカを迎え撃ちに行った伊豆遠征。(イカ不在)。浜松で行われたルアーマガジン主催のエリアトラウトイベント「鱒王」ブース出展。
「あ。中禅寺湖が解禁された。」と北征した日光から手ぶらで戻る道中、季節がすっかり春本番を迎えていた事に気がついた。
そんな折、日本草木研究所(以下、草木)代表の古谷智華からチャットが入った。
「そうだ、京都に川魚釣りに行こう」 ーはい。
「5月8日に京都で、地の草木を使った料理を振る舞う。そこに合わせた魚を探している。」 ーはい。
こうして今シーズンの渓流開幕を告げる、新たなミッションがスタートするわけである。
日本草木研究所は、全国の山主と連携しながら日本中の山塊を駆け抜け、木々を喰らい、その食材や飲料としての可能性を模索し続けている。古谷氏とは草木前より交流があり、姉御と呼んで慕っている。instagram:@nihonkusaki_lab
草木の皿に、”シャケ”の黄金の循環を届けよう
草木の皿に相応しい川魚は何か。アマゴか。イワナか。鮎はオフシーズンだ。
今回のミッションは、単純に”美食材”として川魚を提供することがゴールではないように思えた。竿一だから提供できる、草木のためになる魚が求められていた。
そもそも草木の活動は、竿一と類似性があると感じている。
日本の自然を対象に、その周辺にある地域風土や文化を読み解くこと。そこでの発見を編集し、新しい価値として提供することを志すこと。
草木が対象とするのは文字通り日本の草木であり、竿一が対象とするのは日本の釣りだ。その距離は近い。念の為添えておくと、草木は我々の遥か前方を走る大先輩だ。ただし、両者は補完関係になれる部分があると感じていた。竿一にとって、今回の活動はそれを証明する檜舞台でもあった。
そう考えると、単なる渓魚で満足することは難しい。市場には天然魚の供給網がある。味を追及した養殖魚も購入できる。何より我々である必要性が感じられない。もっと表現として意義のある魚が必要だ。
ーー鮭(シャケ)だ。
ーー”シャケ”の命のリレーを、草木の皿に載せるべきなのだ。
(※本記事では便宜上、日本に生息するサケ目サケ科の魚のうち、降海して河川を遡上する魚を”シャケ”と呼ぶ)
渓流で生まれ、海を経て成長して帰ってくるシャケたち。海に降りる個体(降海型)と渓流で一生を終える個体(陸封型)がいる。両者は同じルーツを持つが、その風貌はまるで異なる。一説には、渓流で縄張争いに敗れた個体が海へ降りるという。かつての敗者が、グローバルを経て精悍な顔つきと磨き上げられたボディを獲得するという、人生の示唆を得られるようなロマンに溢れる魚だ。
3年程度の海外生活を終えると、彼らは命懸けで故郷の川を遡上し、産卵して命を終える。死した個体は子孫だけでなく、山に貴重なタンパク源や、海を起源とする栄養素をもたらす。それは山林の生態系や土壌に潤いを遣る。そうして次の世代の山が育まれる。そう、シャケは日本の山を育むのである。
草木の皿にシャケが並ぶこと。それは山の循環そのものの表現となる。シャケという最後のピースが草木と結びついた時、皿の上では無限の回転が始まり、黄金色の自然の輝きを解き放つことになるだろう。
以上より、シャケを対象魚とすることが決定した。それを日本の竹竿でやるのだ。
画像はヤマメとその降海型を指す、サクラマス。同じ種とは思えない。明峰コミュニティ協議会よりhttps://meihoucom.jp/30767
狙う魚は、長良川のサツキマス
太平洋側近畿エリアでシャケといえば一択であろう。アマゴの降海型であるサツキマスだ。現代ではその数を大きく減らしたサツキマスだが、驚くことに、実は鴨川にもサツキマスはいるらしい。京都賀茂川漁協が中心となり、アマゴの放流事業や魚道の設置事業を行っており、近年サツキマスが確認され始めているという(すごい!)。
一方で、実釣情報はほぼ見当たらない。下調べを進めると、地元の上州屋が「第二回サツキマスダービー」なるものを開催していることを知った。電話で尋ねると「第一回、第二回ともに釣果ゼロ。」これまでに確認された個体はおそらく放流個体の若干数が河口付近まで降りた後に戻っていると考えられており、産卵までは至っていないだろうという。店員は店舗に持ち込まれた個体を一度だけ見た事があるとのことであった。
鴨川のサツキマスは今まさに復活を遂げようとしている伝説だ。しかし、今はまだ自然の循環にまでは至っていないようであった。いつの日か鴨川にサツキマスの回転が蘇ることを願いながら、今回は”サツキマスの聖地”と知られる岐阜・長良川をフィールドに選んだ。こちらも調べると「1年に1匹釣れるかどうか」などの文字が踊る。いずれにせよ、サツキマスは伝説の魚である。
釣行期間は、保存時の鮮度の良さが持つ日数を考慮し10日間と決定した。「釣れ次第、サツキマスを天高く掲げながら京都三条大橋を渡ります。」古谷さんと約束をすると、現地入りの準備を行った。
余談だが、知るうる限り唯一の鴨川サツキマス実釣記事が、雑誌「ウォルトン」vol.10に掲載されている。大スクープだと思う。
京都新聞2017年6月22日号より。アマゴの放流により、サツキマスが鴨川で確認されたことが記されている。いつの日かサツキマスが群れをなして遡上する日が来ることを願っている。※京都賀茂川漁業協同組合webページより
もう一つのミッション
4月26日夜。トヨタ・ハイラックスの荷台に思いつく限りの道具を押し込むと、普段拠点にしているオフィスがある学芸大学を飛び出した。今回の旅は、添野と村本の2人がフィールドを務めることとなった。実はこの期間中、ある大きなイベントがメンバーの加藤に訪れていた。having a new baby子供が生まれる。サツキマス遠征と出生予定日が完全に重なっていたのだ。妻の容体変化に備え、加藤は自宅待機となる。チームの成功と妻子の無事。余りにも大きな2つのミッションの成功を同時に祈ることになった彼は、持ち前のセンスでプロジェクトを一元化するゴールを導き出した。
ーーサツキマス釣れたら息子の名前はサツキ。
この瞬間、2つの全く異なるイベントは同じプロセス上に定義し直された。共通のゴールとして「息子の名前をサツキにする」というスローガンがチームに生まれた。そのために我々はサツキマスを釣り、古谷さんの期待に答える。妻は母子共に健康に子供を生む。その先で、息子の名前がサツキになる。見事に一つのプロジェクトとして再設定された本ミッションを達成するために、気を吐いて各自が持ち場へと散った。
加藤本人が関与できることは祈ることのみであった。ただ、息子の名前がサツキになることだけを祈ればよくなった。
すべてを乗せて、車は西へ
深夜の東名高速を走る。シビアな時間管理に追われた大型トラックがアクセルをベタ踏みしている。自動運転でも成し得ないほどに車間距離を詰めて走るその隙間を、肩身を狭くしながら、ハイラックスも駆ける。ただし、どの車体よりも胸を張って走っている。
長良川という新しいフィールドへの期待感。シャケの紡いできた命の物語に参加できる幸せ。草木の創る皿へ貢献せんとする熱き意思。残されたメンバーから託された想い。そして未来の子の命名権。あらゆるものをパンパンに詰め込んだ車は道中ほぼ休むことなく、深夜3時過ぎの長良川に到着する。
-part2に続く-
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