WAZAO-IPPONメンバーが日本の釣り文化を勉強する中で読破した本から、特にオススメしたい名著をお届けするシリーズ記事。第一回は、江戸和竿の世界を知る上では絶対に外せない「葛島和竿3部作」より、長男こと「平成の竹竿職人/葛島一美(2002 つり人社)」をご紹介。
江戸和竿の入口に立った気がする
和竿の世界に触れ始めると、多くの竿師がいる(いた)ことに困惑する。さらに言えば、名前も似ている。もっと言えば、一本一本の違いもよくわからない。。。
「東作・銀座東作・東正・寿作・竿中・竿忠・・・・あ、それは4代目の話しね。」
・・・耳にした竿師を一人ずつメモするが、それはパズルのピースを一つずつ集めるように、全体感が掴めない作業になる。そもそも掴む必要があるのかさえわからない。
“良い釣竿”ということでいえば、それは自分のフィーリングに合う竿である。その意味では竿選びに困る必要はないし、竿の使い方を指定される筋合いなどない。
そう理解しつつも、一本一本から滲む「江戸和竿」という文化の気配が鼻の奥をくすぐり続ける。もちろん検索したところで体系化された情報はない。江戸和竿の前にGoogleなど無力だ。なんとも煮え切らない気持ちを拭えぬ日々が続くことになる。
本書はそんな悩める現代の和竿エントリープレイヤーのための入門書だ。この本がなければ、一体どれだけの遠回りを強いられることになったのか。そう想像すると著者・出版社には感謝が止まない。「ありがとう」と呟きながら事あるごとにページをめくっている。
職人ごとの紹介ページが並ぶ。残念ながら令和5年現在、そのほとんどの竿師は引退してしまった。今では知ることの難しい情報が記録された大変貴重な文献だ。
江戸和竿に継がれる、系譜という”文化”を知る。
かつて偉人が「『小悪魔ageha』は素人が読むと全員同じギャルに見える。本物のギャルには一人ひとりの差分が見えている。」という発見をした。「文化と呼べるものは、立ち入るほどに解像度が高まる。その差分を肌感覚で捉えられるまで解像度を高めることが重要であり、それが日本文化の資産になる。」そんな趣旨の発言をしていたと思う。
本著を読み進めると、和竿の解像度が高まっていくことを体験できる。それぞれの竿師の毛色の違いが見えてくる。そこには一子相伝の物語や、戦争によって途絶えかけた系譜を紡いだ竿師の物語など、人間ドラマに溢れた竿師模様があることがわかる。不思議と、人を介することで竿の違いや類似点が見え始める。そして類似性には系譜と言うコンテキストが横たわっていることを理解しはじめる。
江戸和竿の本質は、火入れや切り組み、漆塗りに代表される技術かもしれない。一方で、文化的な理解を求めた時に、そこにいた竿師たちの存在を抜きに語ることは難しい。「伝統」と言う紋切り型の言葉では表現しきれないような、もう少し緩さと人間味のある空気感を知ることで、江戸和竿という複層的な文化の一端を知ることができたような気がする。
何より、本書を読む前と読んだ後では、目にした和竿から得られる情報量が違ってくるのだ。ぜひ巻末の竿師系図を行き来しながら読み進めていただきたい。
竿師の紹介ページの間に、鈴木康友氏(つり人社社長/当時)のコラムが並ぶ。旦那と呼ばれた当時の客の姿など、竿師を取り巻く環境が描かれている。