磯春日記 黒鯛

記録

磯春日記 黒鯛

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掲載 2026.08.18 更新 2026.08.18

釣暦

茅渟の海という古称がそのまま魚の名になった。紀州の地磯で漁師が編み出した団子釣り、垂直の壁に餌を落とすヘチ釣り。三月のチヌの来歴を書いた。

 三月の磯はまだ冷たい。海風も冷たい。それでも釣り師が磯に立つのは、海の魚にも乗っ込みがあるからである。陸の鮒が四月に葦際へ寄ってくるように、海の黒鯛は三月に磯ぎわへ寄ってくる。同じ生物現象が、淡水と海水で二月続けて起こる。これに付き合うのが、春の釣り師の務めである。

広重「魚尽 黒鯛・小鯛・山椒」。
広重「魚尽 黒鯛・小鯛・山椒」。
歌川広重/国立国会図書館(パブリックドメイン)

 黒鯛は古名を「茅渟」(ちぬ)という。和泉の海(大阪湾)に「茅渟の海」という古称があり、ここで盛んに釣られていたから、魚の名にもそのまま茅渟が残った。今も関西では黒鯛をチヌと呼ぶ。和歌山・大阪・兵庫の磯から東京湾の堤防まで、本州の海岸線のほとんどに棲み、春には浅場へ上がって産卵する。乗っ込み黒鯛、のっこみチヌ、と呼び慣わされる季節の魚である。

 釣法は土地ごとに発達して、流派の違いがはっきりしている。

 もとは紀州の地磯で漁師が編み出した団子釣り、いわゆる紀州釣りは、和歌山県・田ノ浦が発祥とされる。ぬか・砂・押し麦などを練って餌を芯に握り込み、海中で団子が溶けると同時に餌が露出する仕組みで、餌取りに強く、底を狙うのに優れている。近場の堤防でも釣れる魚を効率よく取るために組み立てられ、漁師の手仕事から趣味の釣りへ移行する過程で釣法として整備され、戦後に全国へ広がった。和竿のチヌ竿は穂持ちが強く、団子の重さに耐え、なお魚信を弾かない調子に作られている。

 東京湾の堤防文化からは、もっと近代的な釣法が出てきた。ヘチ釣り(落とし込みと呼ぶ人もある)は、垂直の壁にぴたりと餌を落とし、フォール中の魚信を取る釣りで、明治末から昭和初期にかけて、東京湾の埋立堤防が増えるとともに広まった。これも漁から趣味へ移った釣りで、和竿時代には穂先の繊細な専用ヘチ竿が誂えられた。短竿で、堤防に張り付くような姿勢で釣るのが特徴で、外から見ていると釣り師が壁に話しかけているように見える。

北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。磯の釣りは波と相談する。
北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。磯の釣りは波と相談する。
葛飾北斎/クリーブランド美術館(CC0)

 もっと古い磯釣りの基本はウキフカセで、こちらは江戸期から続く。ウキで深さを取り、潮の流れに餌を乗せて流す。和竿時代のフカセ竿は丈が長く、磯の高みから流すのに適した調子で作られた。

 道具立てのことを書く。現代の私が用意するのは、磯竿の一・五号七メートル前後、レバーブレーキか中通しのリール、道糸はナイロンの二号、ハリスは一・五号。ウキは小型の円錐ウキか棒ウキ、針はチヌ針の二号。これに撒き餌のオキアミとぬかを準備する。釣具量販店で揃えられる、誰でも組める仕掛けである。誰でも組める仕掛けで、私は誰並みの釣果に終わる。

 和竿時代の仕掛けはずいぶん違う。竿は紀州の竿師が作る四間(約七メートル二十センチ)の継ぎ竿で、布袋竹と矢竹を組み合わせ、穂先に鯨を使うものもあった。道糸は本テングスの三厘から五厘、ハリスは一厘半から二厘の絹糸、針は流線型の手打ち針で、土地の鍛冶屋が打ったものを釣り師が研いで使った。ウキは桐の浮きを自分で削り、漆を塗って仕上げる。針素を結ぶのも手作業で、鼠の鬚(ねずみのひげ)を芯にしたとも、絹糸を撚り合わせたとも言う。話半分に聞いておくのがちょうどよい。

 餌は紀州釣りなら団子の中にオキアミやコーン、サナギを仕込む。和歌山では押し麦を主体にしたぬか団子が伝統的で、昔は大豆や煮ガニを使ったとも聞く。落とし込みなら岩ガニ、シラサエビ、青イソメ。ウキフカセはオキアミ生か、ボケなどのエビ類。土地によって、季節によって、何を食うかが変わる。

 釣り方も土地ごとに違う。紀州釣りは団子を底に置いて待つ釣りで、辛抱の釣り。落とし込みは堤防際を二、三メートルごとに移動しながら探る、足の釣り。ウキフカセは潮を読みながら撒き餌と仕掛けを同調させる、目と手の釣り。三つとも黒鯛を釣るのに、まったく違う身体の使い方を要求される。同じ魚でも、釣法が違えば別の魚を相手にしているような気がしてくる。これも釣りの面白いところだと思う。

 乗っ込みの黒鯛は、産卵を控えて栄養を蓄えており、太く重い。鱗は青みがかった黒に銀の縞が走り、腹はうっすら銀色を帯びる。釣れた直後の魚を手に持つと、淡水の鮒とはまた違う、海の魚特有の張りつめた重みがある。

 料理は、活きの良いものを刺身にすれば白身に磯の香が乗る。塩焼きは脇骨が硬いので火加減を加える。煮付けにすれば、頭の脇のかぶり身に脂が回って濃い。土地の店で食わせてもらえれば、その土地の流儀で出てくる。それを楽しみに、磯に行く。

 四月になれば黒鯛は産卵を終えて沖へ戻り、入れ替わりに霞ヶ浦の葦際で鮒の乗っ込みが始まる。海の春が陸の春に手渡される、その月のはざまが私には三月という気がしている。

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