釣暦 十二ヶ月のことわり

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釣暦 十二ヶ月のことわり

mkg

掲載 2026.08.18

釣暦

一年のあいだ、毎月ひとつずつ、季節の魚を釣りに行こうと思い立った。誰に頼まれたわけでもない。連載「釣暦」の序と、十二ヶ月の見取り図。

 一年のあいだ、毎月ひとつずつ、季節の魚を釣りに行こうと思い立った。思い立ったのは私一人で、誰に頼まれたわけでもない。ほかに困っている人もいない。それなのに律儀に毎月出かけて行って、その上に文章まで書こうというのだから、われながら酔狂なことだと思う。酔狂であれば仕方がない。

 月に一度の釣行と、それに付随する三本の文章、というのが大体の見当である。最初の一本は、その月に向き合う魚と釣法と来歴についての話で、これは机の上で書ける。次の一本は、実際に出かけて行って釣ってくる、その紀行である。最後の一本は、その釣行のあとで、土地の店に立ち寄って何かを食う話である。これを十二回繰り返すと、年に三十六本になる。三十六本というのは、口にしてみるとずいぶん多いように思えるが、ひと月に三本、十日にいっぺん何か書く、という勘定にしてみると、それほどでもない。私が鼻歌を歌う頻度よりやや少ないくらいだから、まあ無理ではないだろうと、勝手に決めている。

広重「湾の大漁図」。季節が来れば、人はこうして水辺へ出る。
広重「湾の大漁図」。季節が来れば、人はこうして水辺へ出る。
歌川広重/ロサンゼルス郡立美術館(パブリックドメイン)

季節と魚と人

 日本には四季があり、海と川と湖がある。それぞれの季節に、それぞれの魚がいて、それぞれの釣り方がある。これは当たり前のように思えるが、釣りをしない人にとっては、案外そうでもないらしい。

 魚というのは年中同じところに同じ顔で居るのではない。春の渓流ではヤマメが雪解け水とともに瀬に出てくるし、湖や池では鮒が卵を抱えて葦際に寄ってくる。初夏には鮎が川を遡上し、盛夏の渚にはシロギスが集まる。秋になれば落ちハゼは深場へ下り、カネヒラは婚姻色をまとい、北の川には鮭が帰ってくる。冬の凍った湖ではワカサギが氷の下にひしめき、寒の入りにはタナゴが小川の深みで群れる。

 釣り人はそれに付き合って動く。春には渓に分け入り、湖の葦際に竿を出す。初夏には川の瀬に立って鮎を追う。夏には渚を歩き、夜の水路で手長エビを狙う。秋には深みを探り、遡上の魚を川に待つ。冬には氷の上に小屋を立て、凍えた指で糸を結ぶ。魚が動けば人も動く。こういう、季節と魚と人の動きが結びついた連関を、本連載では「シーズナルな釣り」と呼んでおく。

 江戸の釣り師たちは、この連関を「釣り暦」という形でひとつの体系にまとめていた。春に鮒の乗っ込みと黒鯛、初夏に青ギスとアユ、盛夏にシロギスと手長エビ、秋にハゼとボラ、冬の入りにタナゴ、寒の極みにワカサギ。一年ずつ縦に並べると、十二の月にひとつずつ釣り物が割り当てられる。その釣り物に応じて、江戸の竿師たちは魚種専用の竿を作り分けた。鮒竿、タナゴ竿、ハゼ竿、キス竿。素材の竹も、長さも、調子も、すべて違う。釣り人はそれぞれの月に、それぞれの竿を持って、それぞれの川と海へ向かった。帰ってきたら、その魚を食べる。春の鮒の洗い、初夏の鮎の塩焼き、盛夏のシロギスの天ぷら、秋アジのたたき、冬のワカサギの甘露煮、ハゼの佃煮。料理もまた季節に応じている。釣ってから食べるまで、一連の所作が暦に組まれていた。

 この連関は、現在では多くが失われている。江戸前の釣り場は埋め立てで消え、和竿を使う人は少なくなり、家庭で釣った魚を捌く文化も薄れつつある。脚立を立てて青ギスを釣るような釣りは、もう実物を見ることができない。だからといって、嘆いて終わりにするつもりはない。失われたものを哀しむより、まだ残っているもの、まだ出来るものを書いて行く方が、私には性に合う。それに、季節は今も毎年やってくる。魚も場所を変えながら今も生きている。釣り暦の骨格は、土地を全国に広げれば、まだ十分に使える。

この連載でやること

 行く先は江戸前に限らない。一月は氷の張った湖、二月は江戸の小物釣り、三月は春の磯、四月は霞ヶ浦の乗っ込み、五月は京の川床、十月は琵琶湖の畔、十一月は北海道の川。土地ごとに釣るものが違い、釣り方が違い、食わせるものも違う。違うことを書き並べるのが面白い、ということに最近になって気づいた。気づくのが遅いと言われればその通りで、こういうことに早く気づく人は、おそらく釣りなどしないものなのだろうと思う。

 使う竿について少し書いておく。出来るだけ和竿で釣る、という心づもりでいる。江戸の竿師たちが魚種ごとに作り分けてきた竿の系譜を、私のような不器用な釣り人が手にして果たして役に立つのかという気もするが、役に立つかどうかは別として、一度は手にしてみたい。和竿で釣れない魚種にあたった月は、その月の釣法が和竿時代にどのように行なわれていたかを書くつもりでいる。書けるかどうかはまた別の話で、ともかく書くだけは書く。

 仕掛けの細部については、現代のナイロン糸とプラスチックのウキを使った仕掛けと、古い時代の絹糸と玉ウキを使った仕掛けを、できるだけ並べて記すことにしている。並べてみると、釣り具というものは案外進歩していないことに気がつく。あるいは、進歩したように見えて、実は別の方向にそれて行っただけなのかもしれない。これはまだよく分からないので、十二ヶ月たどってから改めて考えることにする。

 食について書いておかなければならない。釣ってきた魚を自分で料理する話だけでは、どうも話が完結しない。釣り場の土地には、その土地でしか食えないものがあり、それはたいてい店で出している。釣りをしたあとで、近くの店で何かを食って帰る。その話を書く。私は料理がうまくないし、その上釣りもうまくないので、自分で料理した話より、店で食わせてもらった話の方が、読み物としては面白いだろうと思っている。これも勝手にそう思っているだけで、根拠はない。

十二ヶ月の見取り図

 十二ヶ月の魚と釣り場は次の通りで、選び方の基本は、その月にその土地で釣ることに季節的な意味がある魚、ということになる。婚姻色の出る秋にカネヒラ・ゼニタナゴを置き、解禁直後の初夏にアユを置く、というように、魚の生態と釣りの暦を重ねている。

魚種主な釣り場
一月ワカサギ信州・上州の湖(氷上)
二月タナゴ関東の残存生息地
三月チヌ(クロダイ)の乗っ込み瀬戸内・伊勢湾・東京湾
四月フナ(乗っ込み)霞ヶ浦
五月ハス・ヤマベ京都貴船・鴨川水系
六月アユ加賀・犀川・手取川
七月手長エビ全国の河川・水路
八月シロギス東京湾・相模湾・若狭湾
九月アジ東京湾・富山湾・長崎五島
十月カネヒラ・ゼニタナゴ琵琶湖水系・東北
十一月サケ新潟三面川・北海道
十二月ハゼ東京湾・大阪湾

書かないこと

 最後に、書かないことを決めておく。書くものを決めるよりも、書かないものを決める方が、結局は楽である。入門書にはしない。釣り具の選び方やキャストの仕方を体系的に教える本にはしない。ランキングにもしない。日本の釣り場ベスト十のような形では書かない。鮮魚情報にもしない。市場の話は釣り場の話と分けたい。環境啓発文にもしない。生息地の保全は大切な話題だが、本筋ではない。書きたいのは、ある月にある場所で釣り糸を垂れ、何かを思い、何かを食って帰る、その一連の所作である。一年経ったあとで、釣りの経験のない読者でも、季節というものに少しだけ違う耳が立つようになっていれば、それで充分だと思っている。

 全部で三十六本書いたあとで、何かが見えてくるかどうか、今のところ自信はない。たぶん見えてはこないだろうと思う。見えてこなくても、書くしかないので書く。釣りに行くしかないので行く。一年経ったときには、私も読者も、それぞれ何かを思い出してくれるだけで充分ではないかと、これも勝手に思っている。

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