水郷春日記 霞ヶ浦の畔

記録

水郷春日記 霞ヶ浦の畔

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掲載 2026.08.18 更新 2026.08.18

釣暦

霞ヶ浦の食は、鮒だけでなく湖の魚全部を相手にする。佃煮、甘露煮、洗い。四月の食の段取りを書いた。

 四月の霞ヶ浦の食を書く。これがこの連載で食の段取りを書き出す、はじめの一本である。一年で十二本、毎月ひとつずつ食の腹案を残すという企てを、この月から始める。連載の構えとしての一本目だから、いつもより少し気負って書いている節があるかもしれない。それは赦してもらいたい。実訪問の記録はこの稿の末尾に追記する。

広重「魚づくし 鯉」。
広重「魚づくし 鯉」。
歌川広重(パブリックドメイン)

 釣りに行くと決まると、釣りの段取りより、帰りの晩飯の段取りの方に気を遣ってしまう。糸の太さや針の号数は前の晩に決まっても、何を食って帰るかは前の晩に決まらない。土地に着いてから決めるのでは遅い。気の利いた店は予約で埋まり、市の立たない曜日もあれば、佃煮屋なら閉店時刻もある。事前にあたりだけはつけておかなければならない。釣りより前に食の心配をしているところからして、百閒に申し訳ない気がするが、これは私の性分である。

 霞ヶ浦の畔は、思っていたより食の素地が深い土地である。地図の上では、湖を取り囲んで土浦・かすみがうら・行方・麻生・美浦・潮来と、いずれの町にも古い食堂や料亭、佃煮の老舗が散らばっている。釣り場は西浦の北岸あたりを想定しているが、車で湖をなぞるように移動すれば、半日のうちに何軒か覗くことはできそうである。

 まず佃煮のことから書く。霞ヶ浦の佃煮は、明治七年(一八七四年)に旧麻生町の奥村吉郎兵衛という人が始めたとされる。湖から水揚げしたワカサギや川エビを、その日のうちに大鍋で炊いて醤油と砂糖で詰める。これが百五十年以上続いて、いまも湖の北岸に何軒か残っている。別の系譜もある。江戸時代に麻生の村役人・奥村源蔵が江戸の佃島で煮方を学んで持ち帰った、という話で、こちらは水郷はしもとの伝える由来である。明治の奥村吉郎兵衛との関係はよく分からないが、いずれにしても「佃煮」と呼ぶ仕事の根が霞ヶ浦の畔に深いことは確かである。

 佃煮の老舗として今でも回れるのは、私の調べた範囲で次の三軒ほどになる。出羽屋は霞ヶ浦の畔で八十余年、ワカサギの甘露煮が看板で、テナガエビ煮や鮒の甘露煮も並ぶ。通販があるが、土地の店先で買うのと同じものではない、と私は勝手に思っている。常磐商店も同じ筋の佃煮屋で、ワカサギの甘露煮、エビの佃煮、うなぎの白焼きまで扱う。釣り宿で出てくる小皿の佃煮は、たいていこのあたりの仕事である。水郷はしもとは前述の通り、もっとも古い由来を持つ系譜の店で、湖の自然の恵みを伝統の技で仕上げる、と公式に書いている。

 佃煮屋は釣りの帰りに寄って、家への土産にする店である。湖から竿を上げてそのまま佃煮屋に車を乗りつけ、店先で何種類かを少しずつ詰めてもらう。これが本式である。私はまだ本式を一度もやっていない。やっていないことに特に困っているわけでもないので、毎年見送ってきた。

 佃煮屋を回ったあとは、湖の魚をその場で食わせる食堂のことを書いておかなければならない。釣行の昼飯にも当てられるし、夕方に上がってからの一杯にも合う、そういう店が土浦の周辺にいくつかある。あたりや食堂は、霞ヶ浦のワカサギを天ぷらやフライで気軽に食わせる老舗で、湖の畔の食堂で釣りたてに近いワカサギが揚がる、というのは何より心が動く。釣り船を下りた格好で入って許される雰囲気の店、というのも釣り師にはありがたい。保立食堂は、江戸時代の魚問屋がルーツで、いま六代目という古い店である。天丼、天ぷら定食、おさしみ定食、あら汁。湖魚に限らず、海の魚も並ぶ食堂で、釣り場が遠いと釣りより先にこの店に着いてしまうのではないか、と思っている。鈴や食堂も土浦の古い食堂で、佇まいの写真を見るに、釣りの帰りに昼酒を一合だけ飲ませてもらえそうな雰囲気がある。

 夜、釣行を終えてから腰を据えて食うとなれば、もう少し格のある店になる。三浦柳は美浦村にある、創業六十年余の鰻と川魚の料理屋で、霞ヶ浦の景色を眺められる個室があるという。鰻の蒲焼、鯉の洗い、川エビの煮物。釣りの仲間と二人で行くなら、この店が筆頭候補になる。もう一段格上が霞月楼で、土浦市にある明治二十二年創業の老舗料亭である。会席料理、屋形船「霞月丸」の貸切プランまである。一人で釣りに来た帰りに気軽に立ち寄る店ではないが、もし誰かを連れて行くことがあれば、ここに腹を据えるのも悪くないだろう。屋形船から湖を眺めながら食う、というのは、どこか江戸の大名の小物釣りに通じるものを感じる。

 店の話の次に、何を食うか、その腹積もりを並べておく。釣行で何を釣るかとは別の話で、その土地で食えるものを食いそびれたら、釣りに来た意味が半分になる。鯉の洗いは、霞ヶ浦の伝統では深井戸の水で身を引き締めて洗いにする。淡水魚の刺身は土地の流儀で違いが出るので、湖の鯉の洗いは霞ヶ浦で食うのが筋である。ワカサギの天ぷらかフライは、釣ってその日に揚げたものを湖畔の食堂で食う、というのが理想で、一月の章で公魚を書いたが、四月にも湖に残った遅れの公魚はいる。釣れなければ食堂で食う。テナガエビは煮物にしても素揚げにしても佃煮にしても合う、霞ヶ浦の好漁場の魚で、川エビと呼ばれる小型のテナガエビが流通している。私が七月に夜の水路で釣るあれと同じ仲間である。うなぎの蒲焼は、霞ヶ浦の天然鰻が市場に出にくくなって久しいが、近隣の店では各地の鰻を扱っている。三浦柳のように鰻と川魚料理を併せる店で、湖の景色を眺めながら一串、というのが筋である。柳川鍋は、霞ヶ浦のドジョウかエビを笹がきごぼうと卵で煮る郷土料理で、これは食堂より川魚料理の店で出てくる。鮒の甘露煮は、乗っ込みで釣ったマブナを家で甘露煮にすることもできるが、私は料理に自信がないので、佃煮屋の出来合いを買って帰る方が、確実に旨い。釣ったマブナは原則として水に戻す。これも釣り師の作法のひとつである。

 以上を踏まえて、釣りの一日を食の側から組み立てるとこうなる。朝、釣り場に入る前に、どこかでおにぎりを買って湖の畔で食う。湖を見ながらの朝飯は、これだけで一日の元が取れる。昼、釣り場の近くに保立食堂か鈴や食堂を据える。釣果に関係なく、定食を一つ食って、麦酒を半合だけ飲む。釣りの続きがあるので、これ以上は飲まない。夕方、竿を上げてから、湖の北岸を東に走って、佃煮屋を一軒覗く。出羽屋か水郷はしもとか、その日の気分で決める。家への土産を二、三種類詰めてもらう。夜、土浦の三浦柳で腰を据える。鯉の洗い、川エビの素揚げ、うなぎの蒲焼。霞ヶ浦の景色を見ながら、麦酒の続きと冷酒を一合。

 以上が、四月の霞ヶ浦の食の段取り、現時点での腹案である。実際にこの通りにいくとは限らない。店が休みのこともあれば、雨で動けないこともある。釣果がさっぱりで、晩飯どころでなく早々に帰る、ということも十分ありうる。釣り師の段取りは、いつも腹案までで、本案にならないものである。

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