九月 秋海日記 放す川(別立て紀行)

記録

九月 秋海日記 放す川(別立て紀行)

mkg

掲載 2026.09.22

釣暦

猿払から紋別へ下りて一泊し、内陸の滝上へ入る。海際と山あいで同じ日の最高気温が六度半ちがった。ここで一日目に大宮で積んだ毛鉤の箱がようやく開く。渚滑川は全国で初めてキャッチアンドリリース条例を作った川で、細かく決めたうえで罰則を入れなかった。放せという条例のある川で、放す魚が一尾も出ない。釣暦・九月の別立て紀行の四日目。

 猿払で日が落ちてから、また車が動いた。オホーツクの海沿いを南へ下って、紋別で宿を取る。着いたのは十一時半を回っていた。廊下を荷が通り、部屋の扉が開き、それで一日が終わるはずだったのだが、連中の一人が寝台に腰を下ろして道具箱を開けはじめた。

明るいコンビニの陳列棚の上端に、茶色い蛾が一匹とまっている。奥に商品の棚が並ぶ。
深夜のコンビニ。棚の上に蛾が一匹。

 机の上に匙が並んでいく。桃色、緑、金。一つずつ向きを揃えて置いて、しばらく眺めてから、また並べ替える。明日どこへ行くかは決まっていないのに、道具だけは先に決めようとしている。夜中の一時である。私はその横で、何も手伝わずに見ていた。

 朝は、起きられなかった。前の晩にあれだけ匙を並べたのは、朝いちで海へ出てアキアジをやるつもりだったからである。そのための支度が、そのまま机の上に残っていた。宿の外へ出たのは十時半で、空が低い。海が近いというのは、こういう灰色のことである。工場の煙突から湯気が真上へ上がっていて、風が無いのが分かる。昼は回転の寿司屋へ入った。帆立を食う。昨日も帆立だった。オホーツクに沿って走っているかぎり、たぶん明日も帆立である。

宿の机に、桃色や緑や金の匙型ルアーが十数個、向きを揃えて並べられている。
机に並べた匙。桃色、緑、金。
灰色の空の下、工場の建物と煙突から白い湯気がまっすぐ上へ立ちのぼっている。
工場の湯気が真上へ。風が無い。
回転寿司の黄色い皿に、帆立の握りが並んでいる。
帆立。昨日も帆立だった。

 昼を回ってから車が内陸へ向きを変えると、二十分ほどで空が割れた。雲が高くなり、青が出て、窓を開けると空気が乾いている。後で見た数字では、この日の最高気温は海際の町で二十度、山へ入った町で二十六度六分ある。同じ日の、六度半の差である。海がそれだけ強く手前を抑えている。

 滝上という町で、砂利道を川のほうへ下りた。白い橋が一つ架かっていて、その上を人が歩いていく。荷台を開けて支度をする。長靴を履き、ベストを着て、帽子をかぶる。この一連が始まると、あとはもう誰も喋らない。

森のあいだの砂利道の先に白い欄干の橋が架かり、その上を人影が一つ歩いている。
砂利道の先の白い橋。

 この町は、もとはハッカの町である。栽培が始まったのは明治四十三年ごろで、昭和十一年の末には作付が千百二十四ヘクタールあり、畑作物ではいちばん広かった。いまは十ヘクタールほどしか残っていない。それでも、ほかに作っている地区が無いので、国内で採れるハッカの九割五分はここのものになる。千百二十四が十になって、それで一番になった。減って一番になる、という勝ち方がこの国にはある。

 鉄道もあった。渚滑線という。渚滑から北見滝ノ上まで三十四・三キロで、大正十二年の開業である。森林鉄道が繋がって木材を運んだ。廃止は昭和六十年の三月。昨日の猿払にも線があって、そちらは平成元年に畳まれている。この旅で竿を出している水の脇には、どれも畳まれた線が横たわっている。

 川は浅かった。砂利の底が上から数えられるほど澄んでいて、瀬と淵が短く交互に来る。対岸は大木の根が洗われて剥き出しになっていて、その下が暗い。上から日が落ちてくると、水の底に木の影が揺れる。歩くと膝までしかない。

手前の草の切れ目越しに、森を縫って流れる細い川が見下ろせる。水は茶色がかっている。
草の切れ目から覗いた川。
川の対岸で、大木の根が水に洗われて剥き出しになっている。根の下は暗く落ち込んでいる。
洗われて剥き出しになった大木の根。
澄んだ川の浅瀬。岩を噛んで白く泡立つ流れと、その先の静かな淵。
瀬と淵が短く交互に来る。
澄んだ川面に木漏れ日が落ち、砂利の底に木の影が揺れて映っている。
水の底に木の影が揺れる。

 ここで毛鉤が出た。大宮の住宅地の隅で荷台に積まれた、あの箱である。赤と飴色と緑が一本ずつ入っていた、黄色い帯に毛鉤とだけ書いてあった、あの箱が、四日目にしてようやく開いた。竹の竿ではなく、ガイドの付いた黒い竿のほうである。

 馬素が水の上を横切った。馬の尻尾の毛を撚った糸である。一本ずつは細くて頼りないのを、何本も束ねて撚ると、重さが出て、強くて、しなやかになる。先へ行くほど細くなるように撚ってあって、その重さで軽い毛鉤を運ぶ。

浅く澄んだ川の水面を、橙色の太い糸が斜めに横切っている。奥の岸に大木の根が見える。
馬素が水を横切る。馬の尻尾の毛を撚った糸。

 ナイロンが出てくるまでは、この糸が毛鉤釣りの道糸の主役だった。いまは撚る人がほとんど残っていない。ハッカが千百二十四から十になったのと同じで、残っている量と、残っていることの意味とは、別々に数えないといけない。

 宙で輪を描いて前へ伸びて、水の面に落ちる。落ちた先から細い先糸が続いていて、その先に毛鉤が付いているはずなのだが、そこまでは見えない。見えないところで何かが起きるのを待つ釣りである。四日目にしてようやく開いた箱の中身が、いま、見えない所まで伸びている。

森に挟まれた浅い川に、胴長の人物が二人立っている。手前の一人は背を向け、奥の一人は遠い。顔は写っていない。
川に立つ二人。

 この川には条例がある。渚滑川といって、延長八十四キロ、支流を集めて滝上を流れ、紋別からオホーツク海に注ぐ。平成二十一年度に、この町は渚滑川魚族保護のためのキャッチアンドリリース条例を施行した。全国で初めての、放せという条例である。

 中身も細かい。開明橋から滝西堰堤までの三十キロほどが区間で、そこで釣った魚は直ちに放す。竿は一人につき一本。針はすべてシングルフックに限る。滝の下から橋までは、ルアーと毛鉤の専用区になっている。季節は五月一日から十一月三十日まで。ここまで決めておいて、しかしこの条例には罰則が無い。

 昨日の川を思い出す。猿払はイトウの保護条例を作ろうとして、罰則を入れるのが難しいとされて、そのまま罰の無い自主規制で守っている。こちらは全国で初めての条例まで作って、そのうえで罰則を入れなかった。作れなかったのと、作ったのに入れなかったのとでは、だいぶ違う。違うのだが、行き着いた形は同じである。最後は頼む。それしかないということを、二つの町が別々のやり方で確かめている。

 釣れなかった。二時間ほど立って、一度も何も来ない。橙の線が同じ場所へ何度も落ちて、同じように流れていく。放せという条例のある川で、放す魚が一尾も出ない。これは条例に協力していることになるのだろうか。

細い白い幹の木が立ち並ぶ明るい林。下草が濃い。
川から上がった先の林。

 一度川を出て、車で坂を上がった。牧草地が開けて、黒と白の牛が下を向いたまま並んでいる。雲が大きく、影が地面を移っていく。北海道の牧草地というのは、空が広いのではなくて、遮るものが無いから空が全部見えているだけなのだが、見えている以上は広いのと同じである。

広い牧草地に黒と白の牛が横一列に並んで草を食んでいる。空は青く、白い雲が大きい。
牧草地の牛。雲の影が地面を移る。
逆光の中、開いた荷台に道具箱や網が積まれ、白い帽子の人物が手を伸ばしている。顔は影になっている。
荷台を開けて道具を出す。

 荷台のところで、連中の一人が糸を両手に張って、腕をいっぱいに広げていた。絡んだのをほどいている。道端でその格好をしていると、逃した魚の大きさを示しているようにも見えるのだが、釣れていないので、示す魚も無い。ほどけるまでずっとその姿勢だった。

砂利道に立つ人物が、両腕を左右いっぱいに広げて細い糸を張っている。右手の先に小さなルアー。傍らに竿が一本立てかけてある。
絡んだ糸を、腕をいっぱいに広げてほどく。

 夕方にもう一度川へ入った。日が低くなって、水の色が金に寄る。一人だけが立って、同じ間合いで投げている。そのうち日が木の向こうへ回って、水が暗くなった。それで終いにした。

夕方の光を受けた川。浅瀬に一人が立ち、両岸の木が水面に映っている。
夕方の川。金に寄った水。

 帰りに釣具屋へ寄った。壁が一面ルアーで埋まっている。紋別で一軒、名寄でもう一軒。同じような壁の前で、同じように上から下まで眺める。買うとも買わないとも言わずに眺めているあいだ、今日釣れなかったことは誰の口にも出なかった。

釣具店の壁一面に、台紙に入ったルアーが隙間なく掛けられている。上に注意書きの貼り紙。
壁が一面ルアーで埋まっている。
別の釣具店の壁一面のルアー。手前の人物が背を向けて見上げている。顔は写っていない。
名寄でもう一軒。同じように眺める。

 名寄に着いたのは七時過ぎである。宿が取れたというので、そこまで走った。部屋に荷を置いて、夜は鍋と牡蠣と、緑の缶の地のビールになった。明日はもっと内陸へ入るらしい。道北の夢を追う、という言い方をしていた。何の夢なのかは、また聞いていない。四日目になっても、私はまだ何も聞いていない。

木の卓に置かれた、泡の立ったビールのグラス。
緑の缶の、この土地のビール。
銀色の皿に殻付きの牡蠣が並び、橙色の垂れの小皿が添えてある。
牡蠣。四日目の夜。

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