猿払で日が落ちてから、また車が動いた。オホーツクの海沿いを南へ下って、紋別で宿を取る。着いたのは十一時半を回っていた。廊下を荷が通り、部屋の扉が開き、それで一日が終わるはずだったのだが、連中の一人が寝台に腰を下ろして道具箱を開けはじめた。

机の上に匙が並んでいく。桃色、緑、金。一つずつ向きを揃えて置いて、しばらく眺めてから、また並べ替える。明日どこへ行くかは決まっていないのに、道具だけは先に決めようとしている。夜中の一時である。私はその横で、何も手伝わずに見ていた。
朝は、起きられなかった。前の晩にあれだけ匙を並べたのは、朝いちで海へ出てアキアジをやるつもりだったからである。そのための支度が、そのまま机の上に残っていた。宿の外へ出たのは十時半で、空が低い。海が近いというのは、こういう灰色のことである。工場の煙突から湯気が真上へ上がっていて、風が無いのが分かる。昼は回転の寿司屋へ入った。帆立を食う。昨日も帆立だった。オホーツクに沿って走っているかぎり、たぶん明日も帆立である。



昼を回ってから車が内陸へ向きを変えると、二十分ほどで空が割れた。雲が高くなり、青が出て、窓を開けると空気が乾いている。後で見た数字では、この日の最高気温は海際の町で二十度、山へ入った町で二十六度六分ある。同じ日の、六度半の差である。海がそれだけ強く手前を抑えている。
滝上という町で、砂利道を川のほうへ下りた。白い橋が一つ架かっていて、その上を人が歩いていく。荷台を開けて支度をする。長靴を履き、ベストを着て、帽子をかぶる。この一連が始まると、あとはもう誰も喋らない。

この町は、もとはハッカの町である。栽培が始まったのは明治四十三年ごろで、昭和十一年の末には作付が千百二十四ヘクタールあり、畑作物ではいちばん広かった。いまは十ヘクタールほどしか残っていない。それでも、ほかに作っている地区が無いので、国内で採れるハッカの九割五分はここのものになる。千百二十四が十になって、それで一番になった。減って一番になる、という勝ち方がこの国にはある。
鉄道もあった。渚滑線という。渚滑から北見滝ノ上まで三十四・三キロで、大正十二年の開業である。森林鉄道が繋がって木材を運んだ。廃止は昭和六十年の三月。昨日の猿払にも線があって、そちらは平成元年に畳まれている。この旅で竿を出している水の脇には、どれも畳まれた線が横たわっている。
川は浅かった。砂利の底が上から数えられるほど澄んでいて、瀬と淵が短く交互に来る。対岸は大木の根が洗われて剥き出しになっていて、その下が暗い。上から日が落ちてくると、水の底に木の影が揺れる。歩くと膝までしかない。




ここで毛鉤が出た。大宮の住宅地の隅で荷台に積まれた、あの箱である。赤と飴色と緑が一本ずつ入っていた、黄色い帯に毛鉤とだけ書いてあった、あの箱が、四日目にしてようやく開いた。竹の竿ではなく、ガイドの付いた黒い竿のほうである。
馬素が水の上を横切った。馬の尻尾の毛を撚った糸である。一本ずつは細くて頼りないのを、何本も束ねて撚ると、重さが出て、強くて、しなやかになる。先へ行くほど細くなるように撚ってあって、その重さで軽い毛鉤を運ぶ。

ナイロンが出てくるまでは、この糸が毛鉤釣りの道糸の主役だった。いまは撚る人がほとんど残っていない。ハッカが千百二十四から十になったのと同じで、残っている量と、残っていることの意味とは、別々に数えないといけない。
宙で輪を描いて前へ伸びて、水の面に落ちる。落ちた先から細い先糸が続いていて、その先に毛鉤が付いているはずなのだが、そこまでは見えない。見えないところで何かが起きるのを待つ釣りである。四日目にしてようやく開いた箱の中身が、いま、見えない所まで伸びている。

この川には条例がある。渚滑川といって、延長八十四キロ、支流を集めて滝上を流れ、紋別からオホーツク海に注ぐ。平成二十一年度に、この町は渚滑川魚族保護のためのキャッチアンドリリース条例を施行した。全国で初めての、放せという条例である。
中身も細かい。開明橋から滝西堰堤までの三十キロほどが区間で、そこで釣った魚は直ちに放す。竿は一人につき一本。針はすべてシングルフックに限る。滝の下から橋までは、ルアーと毛鉤の専用区になっている。季節は五月一日から十一月三十日まで。ここまで決めておいて、しかしこの条例には罰則が無い。
昨日の川を思い出す。猿払はイトウの保護条例を作ろうとして、罰則を入れるのが難しいとされて、そのまま罰の無い自主規制で守っている。こちらは全国で初めての条例まで作って、そのうえで罰則を入れなかった。作れなかったのと、作ったのに入れなかったのとでは、だいぶ違う。違うのだが、行き着いた形は同じである。最後は頼む。それしかないということを、二つの町が別々のやり方で確かめている。
釣れなかった。二時間ほど立って、一度も何も来ない。橙の線が同じ場所へ何度も落ちて、同じように流れていく。放せという条例のある川で、放す魚が一尾も出ない。これは条例に協力していることになるのだろうか。

一度川を出て、車で坂を上がった。牧草地が開けて、黒と白の牛が下を向いたまま並んでいる。雲が大きく、影が地面を移っていく。北海道の牧草地というのは、空が広いのではなくて、遮るものが無いから空が全部見えているだけなのだが、見えている以上は広いのと同じである。


荷台のところで、連中の一人が糸を両手に張って、腕をいっぱいに広げていた。絡んだのをほどいている。道端でその格好をしていると、逃した魚の大きさを示しているようにも見えるのだが、釣れていないので、示す魚も無い。ほどけるまでずっとその姿勢だった。

夕方にもう一度川へ入った。日が低くなって、水の色が金に寄る。一人だけが立って、同じ間合いで投げている。そのうち日が木の向こうへ回って、水が暗くなった。それで終いにした。

帰りに釣具屋へ寄った。壁が一面ルアーで埋まっている。紋別で一軒、名寄でもう一軒。同じような壁の前で、同じように上から下まで眺める。買うとも買わないとも言わずに眺めているあいだ、今日釣れなかったことは誰の口にも出なかった。


名寄に着いたのは七時過ぎである。宿が取れたというので、そこまで走った。部屋に荷を置いて、夜は鍋と牡蠣と、緑の缶の地のビールになった。明日はもっと内陸へ入るらしい。道北の夢を追う、という言い方をしていた。何の夢なのかは、また聞いていない。四日目になっても、私はまだ何も聞いていない。





