五月の京都の食を書く。京の五月は、釣りより前に食の予約を入れておかなければならない土地である。貴船川の川床も鴨川納涼床も、いずれも五月一日に開いて九月末あるいは十月半ばまで続く季節商売で、土地の人も観光客も解禁日に向けて予約を入れる。釣りの段取りより、床の予約の方が先になる。これは順番が逆ではないかと思うが、京の流儀ではそうらしいので、そうする。実訪問の記録はこの稿の末尾に追記する。

歌川国貞/国立国会図書館(パブリックドメイン)
ここで先に書いておかなければならないことが一つある。貴船の川床も鴨川納涼床も、本懐は盛夏にある。床は元来「涼を取る」ための仕掛けで、貴船川の冷たい瀬音と京都市内より五度低い気温を、蒸し暑い京の夏に対する天然のクーラーとして使う、という遊びである。大正のころ、茶店が床几を貴船川に置いて涼を取ったのが始まりで、昭和に入って料理旅館が床に鮎を出すようになった。だから本式に「床」を享受するなら、七月か八月の蒸し暑い盛りである。五月はその季節の頭で、まだ走りである。新緑は眩しいが、貴船は山の中で冷んやりして、川床に座っていると涼を通り越して肌寒いくらいの日もある。釣り師としてはこの「走りの五月の床」は本式ではないことを承知の上で上がる。本式の暑さの中で食う鮎の床料理は、六月解禁を待ってから、もう一度京を訪れて経験するのが筋になる。とはいえ、五月の貴船には五月の良さがある。新緑、若鮎、山菜。これは盛夏には味わえない五月の食である。床に上がるかどうかは別として、貴船の山の食を一度は口にしておきたい。
貴船川の川床は、貴船神社の周辺に並ぶ料理旅館・茶屋が、五月から九月のあいだ、川そのものの上に床を組んで料理を出す。床の足元のすぐ下を冷たい水が流れ、その水音と新緑の匂いの中で食う。京の夏のことで、五月はその季節の頭にあたる。
貴船喜らくは大正十年(一九二一年)創業で、貴船神社の正面に店を構える。川床のお座敷席が百席と多く、団体でも収まる。私は団体で行くつもりがないので、これは参考までに留める。料理旅館の右源太は、出自を貴船神社の社家を代々務めてきた右源太家にさかのぼる。明治の寺社没収のあとに林業や栃餅屋へ転業し、現在の料理旅館の形になったのは戦後(昭和三十七年)のことだという。神主の家から栃餅屋を経て川床の料理旅館へ、という流れがそのまま京の近代の縮図のようで、私はこの店の歴史を読んだだけで一度上がってみたくなった。川床としては規模が中ぐらいで、一人旅の釣り師でも収まりがよさそうな雰囲気がある。旅館ひろやは昭和七年(一九三二年)創業で、九十年余の老舗である。川床ランチの人気が高い。貴船の川床そのものをひろやが最初に始めた、という伝もあって、貴船床の歴史を辿るならまずここに上がるのが筋になる。名物は「鮎の石庭盛り」(貴船の川を塩で表現した目でも楽しめる一皿)だという。鮎はまだ六月の解禁前なので、五月はヤマベか若鮎の塩焼きあたりが品書きに乗ることになるだろう。貴船べにやは二百席と最大級である。貴船兵衛、貴船荘、古今藤やあたりも床を持つ。釣り師として一軒選ぶなら、私は規模の中くらいの右源太か、鮎の石庭盛りで知られる旅館ひろやのどちらかに腹案を絞っている。決め切れないので、当日の天気で決めるつもりでいる。
貴船から京の市内に下りれば、鴨川の納涼床がある。先斗町エリアに料亭が並んで、五月一日から十月十五日のあいだ、鴨川の上に床を出す。先斗町魯ビンは築百五十年の京町家を生かした店で、板長が毎日市場で素材を選ぶ。鱧のすき焼き、当日仕入れの鮮魚の盛り合わせ。鱧は六月以降が本番で、五月だと走りの鱧になる。うしのほねは昭和六十年創業、創作和食を出す。創業はそれほど古くないが、京都人から愛され続けている、と紹介されている。床のせせらぎを聞きながら、旬の食材を使った懐石。眺河 先斗町 華は湯葉や生麩を使った懐石と、旬素材の鍋。五月から十月は床が使える。先斗町のれん会に加盟する店は他にも数多くあって、釣りの帰りに先斗町を通り抜けながら、暖簾を眺めて店を決める、というのが正しい先斗町の歩き方らしい。私には正しい歩き方の経験がない。何度京を訪れても、これだけは身につかない部分である。
ヤマベや釣ったものを食わせてもらえる店があれば理想だが、貴船床も鴨川納涼床も、品書きはあらかじめ組まれた懐席が中心で、釣ったものを持ち込めるかは店次第である。事前に確かめておきたい。五月の貴船で釣れる魚を川床で塩焼きにしてもらえれば本式で、これが叶わなければ店の若鮎を取る。走りの鱧は京の夏の象徴で、本番は六月以降だが、走りには走りの上品さがある。貴船は山の中なので、わらび・ぜんまい・木の芽・タラの芽といった山菜が出る。床の懐席の前菜として山の味が必ず入る。生麩・湯葉は京の食の柱で、納涼床の懐席ではほぼ必ず出てくる。京の地酒(伏見の月桂冠、玉乃光、神聖、英勲)の冷酒を一合か二合。床の上で、川の水音を聞きながら飲む。古今藤やのような店なら、抹茶ソフトクリームを目当てに床に降りる、というのも悪くない。
京の五月のヤマベ釣り、一日の組み立てを並べておく。朝、貴船口で電車を降りて、貴船川の上流まで歩いて入る。貴船神社の手前あたりから竿を出す。新緑の中で蚊針を打つ、というのは、それだけで一日の値打ちがある。釣れる釣れないはほとんど問わない。昼、いったん貴船の集落まで戻って、貴船床ランチをやっている店に上がる。旅館ひろやか、右源太か、その日の予約と気分で。床の上で若鮎の塩焼きと、京の山菜の前菜と、冷えたビールを一杯。釣りの続きがあるので、ここでも酒は控える。午後、もう一度上流に戻って、夕方近くまで竿を出す。日が傾いてきたら竿を片付けて、貴船から市内へ電車で下りる。夜、先斗町の納涼床に上がる。魯ビンか、うしのほねか、これも当日の予約で。鱧の走りと、京野菜の懐席と、伏見の冷酒を一合。床の足元を流れる鴨川の水音を聞きながら、京の夏の入口を確かめる。翌朝、市内の宿でゆっくり起きて、京都駅に向かう道中、伏見の酒蔵に寄って二合瓶を一本買って帰る。これで五月の京は閉じる。
京は店の予約で全部が決まる土地で、私のように予約をギリギリにする釣り師は、毎年苦労する。早めに予約を入れる、と毎年宣言して、毎年遅れる。これに関しては、もう自分の改善を諦めている。



