まだ暗いうちに、ウトロの宿の前で荷を出している。舗装の上に竿袋と道具箱と、額に巻く明かりが並べてあって、それが順に車へ戻されていく。四時五十四分である。昨日の川で一尾を見たばかりで、今日はもう次の水へ向かう。行き先は相泊だという。私はそれがどこにあるのかを、まだ地図の上でしか知らない。

ウトロはオホーツクの側にあって、相泊は半島の反対、根室海峡の側にある。その間を知床の山が背骨のように通っていて、向こうへ行くには峠を一つ越える。同じ半島の中を移るだけなのに、越えた先では海が反対の手に来る。夜のうちに越えてしまうと、その入れ替わりにも気づかないまま、明るくなった時には別の海を見ていることになる。
羅臼の町に下りて、店に入って朝の飯を食った。八時を少し回っている。白い飯が椀に盛られている。どこの土地でも朝の飯というのは大して変わらないもので、変わらないことに私は少し安心した。

そこから海沿いを北へ上がった。道道八十七号というのが羅臼の町から海岸伝いに延びていて、相泊で終わる。行き止まりの道である。その先には道も人家も無く、断崖と漁師の番屋だけが続くという。行き止まりと分かっている道を、行き止まりまで行こうとしている。それがこの日の朝の目的であった。
石の浜に下りると、海が青かった。この日の羅臼は一日で十時間を超えて日が照っていて、雨は一滴も降っていない。海峡の向こうには長い島影が横たわっていて、近いのか遠いのか、見ているうちに分からなくなる。車は浜の上の、林の中の道に停めてある。


川のほとりに、立て札が一本立っていた。ご迷惑をおかけします、とあって、令和八年十一月二十四日頃まで魚類の遡上状況調査を行っています、と大きく書いてある。発注したのは北海道の根室振興局の林務課で、下の方に、川をきれいに、大切に、と添えてある。札の後ろにはコンクリートの工作物があって、その脇に太陽光の板が一枚、斜めに据えてあった。上ってくる魚を、何かで数えているのだろう。

知床では、山の崩れを抑えるために川に据えたダムが、サケやマスが上るのを妨げていたという。そのうち十三基に魚道を付けるなどの手が入って、工作物の上流で産卵する範囲が広がり、卵の数も増えたと報告されている。昨日の川の終わりに、数えられたところに魚はいなかった、と私は書いた。その翌日に、上る魚を数えるための札と板に出会っている。数える側にも言い分はあるのだろう、と私は札の前で少し思い直した。

この辺りでは、秋に川へ上ってくるサケをアキアジと呼ぶ。サケは産卵の時期になると、自分の生まれた川へ上っていく。盛りは十月から十一月で、産卵の二、三か月前からは餌を摂らずに、生まれた川だけを目指すのだという。
餌を摂らない魚を、餌に似せた金物で釣ろうとしているわけである。道理から言えば釣れる筋合いは無いのだが、それでも人は岸壁に並ぶ。釣れるとすれば、腹が減っているからではなく、目の前を横切ったものに思わず口を使うからで、それがいつ来るかは誰にも分からない。分からないものを待つのが釣りだと言えば、それまでの話である。
午後、港の岸壁で竿を出した。先に来ていた人が、赤い帽子をかぶって折り畳みの椅子に腰を下ろし、竿を海へ向けている。海の色は緑がかっていて、岸壁のコンクリートの影が水に黒く落ちている。その日その岸壁では、まったく上がっていなかった。並んで投げても、竿は静かなままである。椅子の人も静かで、竿の先だけを見ている。

そこで、一尾掛かった。周りが何も上げていない中での一尾である。連中の一人が岸壁の縁から身を乗り出して、水の方へ手を伸ばした。椅子の人がどんな顔でそれを見ていたかを、私は見ていない。見ていたら気の毒になったと思う。上がったのは、秋のサケである。

正月に飾る鮭を得るための旅だ、と連中は言っていた。大仰な話である。大宮で竹の竿を屋根に積んで、船で海を渡り、道北の川を回って、湖で五時間振って、その目的が知床の港の岸壁で、誰も上げていない中の一尾で果たされた。大晦日の年取りの膳につける魚は、東の方では鮭で、西の方では鰤だという。その境目は、本州の真ん中を縦に走る地面の割れ目に、だいたい重なっているそうである。私たちは東の者なので、飾るのは鮭でよい。
そのあと山の方の川へ入って、掌に乗るほどの小さな魚が掛かった。オショロコマである。体の脇に濃い楕円の斑が並んでいて、スプーンを咥えたまま掌の上に乗っている。瀬の音の中で見ると、ずいぶん頼りない大きさである。

オショロコマは北極の海から北太平洋の岸にかけて棲む魚で、北海道がその南の端になる。環境省の赤い一覧では、絶滅の危険が増している方に数えられている。知床のような短い川では、源流から河口まで棲んでいるという。その川で、連中の一人がまた腕時計を水に浸けていた。昨日と同じ遊びで、水温を測ると、その水にいる小さな魚が図鑑に増える。この日は図鑑の中でなく、掌の上に一匹増えたことになる。

帰りに峠を上ると、羅臼岳が雲を巻いていた。頂の少し下に白い雲が帯のように掛かって、頂だけがその上に出ている。標高が五百七十メートルを越えたあたりである。朝に越えた時には気づかなかった山を、帰りに正面から見たことになる。

知床峠は七百三十八メートルある。ウトロから羅臼まで山を横切るこの道は、十月の下旬になると閉まって、四月の下旬まで開かない。一年の半分近くを雪の下で過ごす道を、閉まる一月ほど前に一日で二度越えた。二度越えて、同じ海の側へ戻ってきたわけである。
ウトロに戻ると、日が海へ落ちていくところだった。消波のブロックが積まれた水辺で、連中の一人が岩の上にしゃがみ込んで、水を覗いている。こちらの海はオホーツクで、日は海の方へ沈む。朝に越えた峠の向こうの海には、日は沈まない。同じ半島の両側で、日の出る海と日の沈む海が背中合わせになっている。


夜は南へ下りて、中標津の宿に入った。部屋の壁に額が掛けてあって、筆で書いた詩が収まっている。読んでいくと、行の頭の字だけが朱で書かれていて、上から拾うと、な、か、し、べ、つ、になる。町の名を折り込んだ歌である。

その中に、しあわせとは財産や物が豊かで便利なことではないんだよ、という一句がある。人や地域につくすことで感じられるものなんだ、と続く。この旅で、財産も物も増えてはいない。増えたのは、正月に飾る魚が一尾である。それがしあわせの勘定に入るのかどうかは、額に訊いても答えてはくれない。
目的は果たした。それでも車は、明日もどこかへ向かうらしい。岸壁で掛からなかった方のアキアジは、今夜も餌を食わずに、生まれた川へまっすぐ上っていく。私たちは目的の魚を手に入れて、まだ帰らない。帰る魚と帰らない人間とが、同じ日に同じ海の縁に居たことになる。



