TABI シリーズ・第二話/全3話 — 開示が段階的に深まる、3本続きの記録。
「TABI」を作ってから、この竿の出自が気になり始めた。もともとの着想は、アバクロンビー・アンド・フィッチがかつて売っていたとても小さく仕舞える竿にある。パスポートと同じ大きさの箱に収まるグラスファイバーの竿で、手元に一本ある。しかしこの竿がどういう経緯で企画され、どういう人々の手を経てきたのか、私はあまりよく知らない。カタログと竿の実物だけが手がかりで、来歴の大半が空白のままである。「TABI」がその出自を辿れと言っている気がする。ニューヨークの地図を広げた。
カタログの奥付に支店名が三つ載っている。ニューヨーク、ショートヒルズ、シカゴ。本店はニューヨークのマディソン街と四十五丁目の交差点にあったらしい。十二階建てのビルに1917年から六十年間この店があった、と調べるうちに判った。地階に射撃場、各階に狩猟の剥製、屋上にはフライ・キャスティングの試し打ち用プールまで備えていたという。釣り竿だけではなく、冒険と旅の全てを商っていた店だったようだ。1977年に閉じて、今は360マディソン・アヴェニューというオフィスビルに建て替わっている。この竿がかつて棚に並んでいた場所を見てみたい。
調べていくうちに、シャルル・リッツという名前が何度か出てきた。パリのオテル・リッツの主人で、フライ・キャスティングの名手だったらしい。この人物がこの竿と何か関わりがあるようなのだが、まだ全容が見えない。ただ一つ判ったのは、リッツが若い頃ニューヨークにいたということで、1916年から17年ごろ、二十代半ばでマディソン街四十六丁目のリッツ・カールトンの夜勤支配人をしていたらしい。マンハッタンの質屋で壊れた竹竿を買っては修理して売っていたという話もある。ロウアー・マンハッタンにアングラーズ・クラブという1906年創設の釣り倶楽部があって、リッツはそこの会員だったとも書いてある。この倶楽部は今もブロード街百一番地にあるらしい。旅程に入れておく。
マンハッタンから北西へ車で二時間ほど走ると、キャッツキル山地に入る。リヴィングストン・マナーという町に、キャッツキル・フライフィッシング・センター・アンド・ミュージアムという博物館があることが判った。竹竿の工房やロッドメーカーの展示室を構えていて、この竿を作ったとされるフィリプソン社のロッドも収蔵品にあるらしい。手元のパスポート・ロッドを持ち込んで、収蔵品と見比べられたら、何か判るかもしれない。
博物館から車で十数分走ると、隣町のロスコーに出る。ビーヴァーキル川とウィロウモック・クリークが合流するあたりで、アメリカのドライフライ・フィッシング発祥の地とされている。リッツもニューヨーク時代にビーヴァーキルで竿を振っていたという記録があるらしい。この川に行けば、この竿の背景にある文化のことが少し見えてくるかもしれない。
旅の道筋がうっすら見えてくる。マンハッタンに入り、まずマディソン街と四十五丁目の交差点に立つ。アングラーズ・クラブの前を通る。翌日は車を借りてキャッツキルへ向かう。ビーヴァーキルの川岸に立ったとき、「TABI」を出してみる気になるかもしれない。出さなくてもよい。竿が鞄の中にあるだけで、川の見え方が少し変わる。
鞄にはパスポート・ロッドと「TABI」の二本を入れていく。グラスファイバーと竹。来歴のよく判らない竿と、その竿に導かれて生まれた竿。この二本を連れて、来歴の空白を埋めに行く。段取りはまだ紙の上にしかないが、地図を眺めているだけで気持ちが少し先に行っている。





