旅——パスポート・ロッドの出自

記録

旅——パスポート・ロッドの出自

mkg

掲載 2026.05.27 更新 2026.05.28

TABI・第3話/全3話

A&Fのパスポート・ロッドの傍らに「TABI」を置いて見比べる。1960年代のニューヨーク、シャルル・リッツ、フィリプソン社——この小さな竿が辿った大西洋を跨ぐ来歴と、六十年の時差を超えて竹が応じた顛末。

TABI シリーズ・第三話/全3話 — 開示が段階的に深まる、3本続きの記録。本記事で出自に踏み込む。

 手元にアバクロンビー・アンド・フィッチのパスポート・ロッドがある。バーガンディ色のグラスファイバーに六インチのコルクグリップ、十本に解いた竿を仕舞うと六インチ半ほどの箱にぴたりと収まる。その傍らにカタログの頁を広げ、さらに隣に、仕上がったばかりの竹の竿を一本置いている。この竹の竿が「TABI」で、企画したのは私である。酔狂と言われれば否定しない。このパスポート・ロッドを初めて手にした日から、いつかこれを江戸和竿で作りたいという構想がずっとあった。

 1960年代のアバクロンビー・アンド・フィッチは、今とはまるで別の存在だった。ニューヨークの本店は地階に射撃場を備え、各階に狩猟の剥製が鎮座する、冒険と旅を商う総合商社のような店であった。探検家の遠征を仕立て、ヨーロッパの鮭川へ向かう紳士にロッドを選び、大西洋を渡る船旅の身支度まで一式引き受ける。釣りは上流階級の倶楽部文化の延長にある遊びで、紳士の社交の一部だった。そういう時代に、パスポートと同じ鞄に収まる竿が企画された。カタログにはベストのポケットに入ると誇らしげに記されていて、支店名としてニューヨーク、ショートヒルズ、シカゴの名が並んでいる。

 このパスポート・ロッドの来歴で最も気になるのは、シャルル・C・リッツの名前が現れるところである。パリのオテル・リッツの主人にして、フライ・キャスティングの名手。1927年、破損した竿を修理する過程で穂先と根元を柔らかく中間を張らせるテーパーを偶然見出し、六年後にこれをパラボリック・アクションと名付けた人物である。リッツは1958年にパリで国際的なフライフィッシングの倶楽部を創設し、世界中から集まる会員の前で、ホテルの酒場の前にてフライラインを弧に引いてみせたと伝えられている。そのとき手にしていたのが、このパスポート・ロッドであった。ニューヨークの店で生まれた竿がパリの最も華やかな場所に辿り着く。大西洋を挟んだ釣り文化の往来が、この小さな竿の上で交差していた。手元のパスポート・ロッドを持ち上げてみると、一・六オンスの軽さが手首に残る。この竿がかつてパリの空気に触れていたかは知らないが、触れていたと想像するほうが愉しい。

 このパスポート・ロッドを製造したのは、コロラド州デンヴァーのフィリプソン社である。グラスファイバー竿の製造に先鞭をつけた工房で、もともとの源流は、アメリカ西海岸の山岳渓流で使われていたバンティ・ロッドと呼ばれる短竿にある。急峻な沢筋をマス族を追って遡る釣り人たちが携帯の便のために求めた道具で、短さと小継ぎに実用の意味があった。それが旅行者向けの企画に仕立て直されたとき、山の匂いは消え、革鞄の中の贅沢品に変わった。カタログの写真には箱が二種類載っている。一つは金色の縁取りを施した紙の箱、もう一つはスウェード革の丈夫な箱にリールまで収めた旅行セットで、どちらも釣り具というより贈り物の佇まいをしている。

 私がこれを江戸和竿で作りたいと考えたのは、小継ぎの技術に共通の筋を感じたからである。江戸和竿の印籠継ぎは、継ぎ口に細い芯を仕込んで雄竿と雌竿をかみ合わせる。この技術があれば、パスポートサイズの竹竿は原理として成立する。腕のいい江戸和竿の職人にこのパスポート・ロッドを手渡し、竹で作れないかと相談したのが始まりだった。当初は並継ぎで仮組みまで進んだが、これほど小さな竿を並継ぎにすると接合部がどうしても抜けやすいことが判り、印籠継ぎに方針を改めた。六十年の時差を超えて、竹が応じた。

 パスポート・ロッドの隣に「TABI」を置いて見比べる。仕舞った状態ではほとんど同じ大きさで、つなぐとおよそ五フィート。三グラムまでの小型ルアーを投げて、三十センチ前後のマス族とやり取りできる。パスポート・ロッドを手に取ると、均一な工業製品の素直な手触りがある。「TABI」を手に取ると、節の凹凸がわずかに指に当たる。同じ構想から出発して、素材と時代と技術の違う二本がここに並んでいる。

 江戸和竿に小粋という美学がある。さも釣り場に向かう風体ではなく、ふらりと家を出て、釣りをして帰ってくる。「TABI」はその構えをさらに押し進めて、釣りに行くかどうかも決めないまま鞄に入れる竿として考えた。旅に連れていく。出先で気が向いたら出す。出さなくてもよい。竿が鞄の中にあるという事実だけで、旅の気配が変わる。

 箱のことも考えている。アバクロのパスポート・ロッドには金の縁取りを施した紙製のケースが付いていた。あの洒落た佇まいに触発されて、「TABI」には江戸指物師に銘木の仕舞い箱を誂えたいと考えている。竿に箱まで誂えるのは道具立てとしてはやや過剰だが、旅に連れ出す竿には、そういう過剰さがむしろ似合う。

 「TABI」を手のひらに載せてみる。確かな重みがある。持っていると、どこかへ出かけたくなる。旅の予定がなくても、そういう気持ちが湧いてくる。行き先は決まっていなくてもよい。竿だけ鞄に入れて、あとは出てから考える。


この記録に関連する蒐集

TABI ― 旅|パスポートサイズの和竿

なんなら、釣りしなくてもいい パスポートと同じ大きさで、振れる和竿があります。仕舞い寸法はおよそ15センチ。トラベルオーガナイザーのペン差しに、ボールペンと並んで滑り込みます。継ぎ目は10。継いで伸ばすと、約152センチ(5フィート)。 「ここまで小さくできますか」――職人さんに、かなり無理をしてもらいました。 性能は、抜群です 旅持ち用に短く畳む、というだけの竿ではありません。穂先から手元のグリップまで、全長がバンブーで一本の素材として通っています。グリップは、その竹を「包んでいる」だけ。手元のアクションが、継ぎ目のグラつきで濁ることなく、まっすぐ穂先まで伝わります。 普通の渓流で、ルアーが投げられます。尺サイズの取り込みも余裕です。 10本継 × 印籠継ぎ 10本もの継ぎ数がありながら、キャスト中の緩みは極限まで抑えられています。これは印籠継ぎという継ぎ方式によるもの。継数が増えるほど緩みのリスクは上がるはずが、印籠継ぎはその逆をいきます。継ぎ目で全体強度を高めながら、緩みも同時に減らす。 銘木と、本漆の重ね塗り グリップは、銘木に本漆を下塗りなしで何度も塗り重ねたもの。下塗りをしないことで、漆が木目に染み込みます。何度も塗り重ねるたびに、木の表情そのものが深い色を持つようになります。 注文時には、銘木をお選びいただけます。一本ずつ、表情の異なる竿が生まれます。 ルアーで魚を取り込む喜び以上に、グリップを自分の手で触って、銘木の漆の深さを目で楽しんでほしい。 ぜひ、自然光と、木漏れ日の影と光が当たっている中で、このグリップを見てください。 洋白の金属部品 リールシートまわりの金属部品は、このロッドのために1から図面を引いて削り出しました。素材は洋白(ようはく)。海水にこそ弱いですが、白銀のような奥深い色合いと、手に馴染む質感を最優先で選んでいます。 この竿は、川を選びます 正直にお伝えしておきます。この竿は、川を選びます。これを持って「釣りしに行くぞ」という積極的なメイン竿ではありません。 同じような渓流を目の前にしたとき、こういう魚がルアーに飛びついてくるところまでイメージできる方と、この一本を共有したいと思っています。 なんなら、釣りしなくてもいい 専用の革袋に入れて、スーツケースに忍ばせる。旅先のホテルで取り出して、灯りの下で銘木を眺める。窓の外に渓流が見えれば、組み立てて手に持ってみる。振らなくてもいい。継がなくてもいい。そういう持ち方が、この竿には許されています。 仕様 仕舞寸法 約15cm 全長 約152cm(5ft) 継数 10本継 継ぎ方式 印籠継ぎ 竹素材(竿身) 矢竹 穂持ち 高野竹 穂先 真竹4枚合わせ削り グリップ 銘木(注文時選択可)+ 本漆重ね塗り / コルク / グリップ内竹芯通し 金属部品 洋白(本ロッド専用設計) リール仕様 スピニング 推奨フィールド 小渓流。尺級まで対応 製造 完全受注。職人による一点製作 製造とお届けについて こちらは完全受注の商品です。ご注文後、職人と銘木をご相談のうえ製作に入ります。 お届けまでの目安:受注確定後 3〜6ヶ月程度。職人のスケジュールおよび銘木の手配状況により前後します。 3年間 無料・無制限のメンテナンスをお付けしています。 ご質問・銘木のご相談はお問い合わせフォームよりご連絡ください。

この職人に関する記録を探す

この商品を詳しく見る

この記録に関連する記録