江戸小物日記 寒のあとの佃煮屋

記録

江戸小物日記 寒のあとの佃煮屋

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掲載 2026.08.18 更新 2026.08.18

釣暦

タナゴを釣った帰りに佃煮屋を一軒覗く。それが二月の食の段取りとしては筋が通る。佃島から浅草橋へ、江戸の川魚の食を辿った。

 二月の食を書く。二月のタナゴ釣りは、釣ったものを食うわけにはいかない。生息地の事情があって、釣ったらできるだけ早く水に戻すのが今の作法である。戦前までは両国橋近くの佃煮屋がタナゴのヤキジューを売り物にしていたらしいが、今ではそれを真似る訳にもいかない。だから、釣りの方は所作の儀式として終わらせて、食の方は別の対象に切り替える、という二段構えが二月の釣り師の流儀になる。実訪問の記録はこの稿の末尾に追記する。

広重「江戸名所 永代橋佃島」。佃煮の生まれた島。
広重「江戸名所 永代橋佃島」。佃煮の生まれた島。
歌川広重/国立国会図書館(パブリックドメイン)

 幸い、寒の釣り場の周りには、江戸時代から続く佃煮屋がいまも何軒か残っている。タナゴこそ売っていないが、雑魚の塩煮を醤油で煮詰めるという技法そのものが江戸の発明で、それを百五十年以上守り続けている店がある。タナゴを釣った帰りに佃煮屋を一軒覗く。それが二月の食の段取りとしては筋が通る。

 佃煮の起源について少し書いておく。安政五年(一八五八年)に棒手振りの青柳才助が、日本橋呉服町稲荷新道で佃島漁民の雑魚の塩煮を「佃煮」と称して売ったのが、佃煮という呼び名の始まりとされる。それまでも雑魚を煮詰めて保存する技法はあったが、塩煮であった。文久二年(一八六二年)、浅草瓦町、いまの台東区浅草橋に創業した鮒佐が、塩煮ではなく醤油で煮詰めるという斬新な発想を持ち込み、これが現在の佃煮の原型になった。鮒佐の佃煮は、いまも一般的な甘辛い佃煮ではなく、素材の風味を引き出して辛口に仕立てた江戸前の味を続けている。私はこの店の佃煮を一度買って帰ったことがあるが、白い飯に乗せた瞬間に、これは普段店頭で買う甘い佃煮とは別物だと分かった。江戸前というのはこういうことかと、佃煮で初めて納得した。

 江戸時代から現存する佃煮屋は、鮒佐の他にも、田中屋(一八三七年)、天安(一八四三年)、佃茂(一八五六年)、丸久(一八五九年)、有明家(一八六一年)などがある。寒の釣り場のあたりからどれかが射程に入る。佃島・浅草橋・日本橋。いずれも釣り師が江戸の頃に通った道筋である。

 佃煮屋ではなく、座って川魚を食わせてもらいたい場合は、両国・浅草界隈に何軒か残っている。両国どぜう桔梗家は昭和八年(一九三三年)創業の川魚料理屋で、どじょう・うなぎ・なまずを並べる。江戸の食を真面目に継いでいる店で、寒の釣りの帰りに本所から両国まで歩いて、暖簾をくぐる、という流れが組める。本所太平町から両国までは、夜の道で四十分ばかりだろうか。釣り場で冷えた体を歩いて温めながら、店に向かう。両国の老舗を眺めれば、ちゃんこ、どじょう、うなぎ、川魚、佃煮と、江戸前の系譜の店が今でも並んでいる。タナゴ釣りの帰りに「江戸の食」と言って通用するものを食う、というのは、二月の釣り師には適切な閉じ方である。

 タナゴを食わない以上、二月の食の対象は寒の江戸前の魚と、雑魚の保存食ということになる。鮒佐や、田中屋、天安、丸久あたりの佃煮を、釣りの帰りに寄って数種類詰めてもらう。アサリ、エビ、しらす、小はぜ。「タナゴの佃煮はないか」と聞いてみたいが、無いとわかっているので聞かない。聞かない、というのも釣り師の作法のひとつである。寒のどじょうは身が締まって、笹がきごぼうと卵で煮る柳川鍋には適している。両国の桔梗家のような店で、寒の夜に酒の燗とともに食う。江戸前のうなぎは寒のうちが旨いと昔から言う。脂が乗って、しかし夏のうなぎのように暑苦しくない。両国・浅草の鰻屋でひと串。なまずを食わせる店は今ではめずらしいが、桔梗家のような川魚料理屋ならば、寒のなまずの天ぷらや煮物に当たることがある。私はまだなまずを食ったことがないが、寒のうちに一度試したい。寒の海の魚(平目、寒鰤、ひらめの縁側)は江戸前の握り屋の真価が出る季節である。タナゴ釣りからの流れで握り屋に上がるのは少し外れるが、寒の魚を口にしておきたいなら筋は通る。

 関東のどこかでタナゴを釣ったとして、その帰りの一日を並べる。朝、釣り場へ出る前に、家を早く出て、浅草橋の鮒佐に開店時間に立ち寄る。佃煮を二、三種類、釣りの後で受け取る予約だけ入れておく。これは妄想で、実際には電話予約か通販に切り替わるかもしれない。昼、釣り場で握り飯を食う。寒のタナゴは午前から昼の早い時間がよく釣れるので、午後はあまり粘らない。夕方、釣り場を撤収して、浅草橋に戻る。鮒佐で予約した佃煮を引き取って、家への土産にする。夜、両国まで歩いて桔梗家か、もう少し気軽な川魚料理の店に上がる。どじょうの柳川かうなぎの蒲焼を頼んで、燗酒を一合。寒の夜の店内は、一杯目の燗が回ったあたりから、釣り場の冷えがようやく抜けていく。これがないと、二月の釣りは半端で終わる。

 タナゴを食わない代わりに、江戸前の保存食と川魚料理を食う。タナゴを「色を見る」だけで満足する代わりに、江戸前の食をまとめて掬っていく。これが二月の流儀として、私は腹に納めている。

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