なんなら、釣りしなくてもいい
なんなら釣れなくてもいい――和竿一本のブランド標語に、もう一段書き足したくなる一本ができました。名前は「TABI(旅)」。
なんなら、釣りしなくてもいい。

パスポートと同じ大きさで、振れる竿
きっかけは、ある旅先で、水辺のそばに泊まったときのこと。朝、川面に魚がはねるのが窓から見えました。竿さえあれば出られるのに、と思った瞬間です。翌日には次の町に移っていて、あの朝は二度と来ません。鞄に入る竿があれば、ああいう朝を逃さずに済む。
そこから逆算して行き着いたのが、パスポートの大きさでした。
職人へのオーダーは、こう伝えました。
「パスポートサイズにしてください」
仕舞い寸法はおよそ15センチ。手のひらに収まり、トラベルオーガナイザーのペン差しに、ボールペンと並んで滑り込みます。継ぎ目は10。継いで伸ばすと、約1.6メートル。
「ここまで小さくできますか」という相談を、何度も職人と重ねました。最後は、職人さんに「かなり無理してもらった」一本です。

性能は、抜群です
旅持ち用に短く畳む、というだけの竿ではありません。
- 矢竹(やだけ)の本体
- 矢竹を4枚合わせた穂先
- グリップの最奥まで通された竹芯
穂先から手元のグリップまで、全長がバンブーで一本の素材として通っています。グリップは、その竹を包んでいるだけ。だから、手元で起こしたアクションが、つなぎ目のグラつきで濁ることなく、まっすぐ穂先まで伝わります。
普通の渓流で、ルアーが投げられます。尺サイズの取り込みも余裕です。日本の竹竿が長い時間をかけて磨いてきた、継ぎ竿の技術がそのまま生きています。
10本継 × 印籠継ぎ
10本もの継ぎ数がありながら、キャスト中に緩むことは極限まで抑えられています。これは印籠継ぎという継ぎ方式によるもの。継数が増えるほど通常は緩みのリスクが上がりますが、印籠継ぎはその逆をいきます。継ぎ目で全体強度を高めながら、緩みも同時に減らす。職人と打ち合わせを重ね、この仕様に落とし込みました。

銘木と、本漆の重ね塗り
グリップは、銘木に本漆を下塗りなしで何度も塗り重ねたものです。下塗りをしないことで、漆が木目に染み込んでいきます。何度も塗り重ねるたびに、木の表情そのものが深い色を持つようになる。
そして、注文時には銘木を選べる仕様にしています。一本ずつ、表情の違う竿が生まれます。
ルアーで魚を取り込む喜び以上に、グリップを自分の手で触って、銘木の漆の深さを目で楽しんでほしい。
ぜひ、自然光と、木漏れ日の影と光が当たっている中で、このグリップを見てください。
蛍光灯の下では、この色は本当の意味では立ち上がりません。渓流に持ち出して、緑の光と木漏れ日に当てたとき、はじめてその深さがわかります。

洋白の金属部品
リールシートまわりの金属部品は、今回このロッドのために、1から図面を引いて削り出しました。
素材は洋白(ようはく)。海水にこそ弱いですが、白銀のような奥深い色合いと、手に馴染む質感を最優先で選んだ素材です。グリップの銘木とのコントラスト、そして実際に握ったときの温度感まで、設計の対象に入っています。
この竿は、川を選びます
正直にお伝えしておきます。
この竿は、川を選びます。
なので、この竿が使える川を、渓流を、探す。出会えなかったら、旅先で釣りはできないんですよ。そういうシビアさは正直あります。これを持って「釣りしに行くぞ」っていう竿ではないです。
設計のとき、頭にあったのは、ヨーロッパや東欧の小さな渓流。ボヘミアの森を流れる細い川に下りていって、小さなトラウトと出会う――そういう旅の絵が、職人との打ち合わせの背景にありました。
実際に魚と出会えるかどうかは、誰にも約束できません。同じような渓流を目の前にしたとき、こういう魚がルアーに飛びついてくるところまでイメージできる人と、この一本を共有したいと思っています。
なんなら、釣りしなくてもいい
「なんなら釣れなくてもいい」というブランド標語を、私たちはずっと掲げてきました。
釣りは手段で、和竿は旗。
江戸の釣り師には「小粋」という構えがあったといいます。さも釣り場に向かう風体ではなく、ふらりと家を出る。竿は小継ぎにして懐や袂に収め、釣りの支度を見せないまま歩く。道具を見せびらかすのではなく、道具を消す方に技と気概を寄せる。江戸和竿の小継ぎ技術は、こういう構えと一対になって磨かれてきました。
「TABI」は、その構えを旅の鞄の底まで押し込んだ竿です。
専用の革袋に入れて、スーツケースに忍ばせる。旅先のホテルで取り出して、灯りの下で銘木を眺める。窓の外に渓流が見えれば、組み立てて手に持ってみる。振らなくてもいい。継がなくてもいい。
そういう持ち方が、この竿には許されています。
仕様
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 仕舞寸法 | 約15cm(パスポートサイズ) |
| 全長 | 約152cm(5ft) |
| 継数 | 10本継 |
| 継ぎ方式 | 印籠継ぎ |
| 竹素材 | 矢竹 |
| 穂先 | 矢竹4枚合わせ |
| グリップ | 銘木 + 本漆重ね塗り(注文時に銘木選択可)/コルク/グリップ内に竹芯通し |
| 金属部品 | 洋白(本ロッド専用設計・新規製造) |
| リール仕様 | スピニング(フライリール装着での運用も想定可) |
| 推奨フィールド | 小渓流。尺級まで対応 |
| 製造 | 完全受注。職人による一点製作。仕様は一本ずつ異なります |
| 価格 | 800,000円(税込) |
職人技の見どころ
この一本に込められた職人技を、いくつか挙げておきます。お手にされたとき、ぜひ確かめてみてください。
- 10本の継ぎ目すべてに、印籠継ぎの精度が通っていること。
- 15センチに収めるためのグリップ寸法の限界設計。リールシート分しか長さがありません。
- 銘木とコルクの中心に、ぴたりと竹芯を貫通させる中心穴の精度。0.1ミリのズレを人間は感じ取れます。
- 矢竹4枚合わせ穂先。この細さで4枚を合わせる手元仕事。
- 洋白パーツを図面から起こして削り出したこと。
これらはすべて、量産では不可能な、一発勝負の仕事です。職人の腕と、その日の竹の機嫌が揃わなければ、この一本は生まれません。
最後に
この時代に、この仕様の、このロッドが、今この場にあるっていうのは、奇跡に近いと思う。
撮影の現場で、ぽろっと出た言葉です。
ご注文をいただけるたびに、職人と一緒に、もう一度この奇跡を起こしにいきます。
「TABI」をめぐる、もう少し私的な記録
企画者の視点から、「TABI」の出自と、これから出かける場所について書いた一連の記録があります。第一話から順に読むと、開示が段階的に深まる構成です。
- 旅 ― 第一話。江戸の「小粋」と、鞄の底の竿。
- 旅の段取り ― 第二話。ニューヨークで来歴の空白を埋める段取り。
- 旅——パスポート・ロッドの出自 ― 第三話。着想元となった一本の竿と、六十年の時差。




